死生観

これを書くことで日々の平静を保っている。

私は恵まれているらしい。

仕事でそれなりに中の上くらいにはなってるのだろう。

上には上がいるが、私の年収は、自分のためだけのものと考えたらかなり良いのだろう。

そして仕事もリモートワーカーになり、来週からはワーケーションまでしようとしている。

それでなぜ終わりにしたいのか。

うーん。生きている意味ってなんだろう?ってことしか頭にないから。

生きたいと思っていれば、きっと人は他人にすがり、相談などをして打開しようとするのだろうと最近思う。

ラジオなどでは自分の境遇を嘆いて相談する人が多くいる。

ラジオで相談を書くことできっとその人は第1段階の救いになっているのかもしれない。

私のこのブログのようなことが他人に自分を知ってもらいたいということで保っているのだろう。

私は、救われたいとは思わない。

終わらせる方法を教えてくれる人がいるなら、もしかしたら連絡してしまうかもしれないが、私の人生の終わらせ方を他人に指図されるのも嫌なのだ。

幇助とかって他人を巻き込むのも。

仕事が忙しいと一瞬頭の中の支配が変わる。

「うわ、ヤバい。コードがわからない」に支配され、千本ノック状態で調べては実行するを繰り返す。

が、終わってしまった。

最低限かもしれない方法でやりたいと言われたことが出来た。

明日、1日私の頭の中はまた「どう終わらせる?」に支配されてしまう。

かなりキツイ。

ポジティブに考えればいいとアドバイスされるのだろうし、自分もアドバイスしたことがあったかもしれない。

でも、支配されたらそれはどうにも出来ない。

それでも、他人との結びつきについて思考停止して止める努力が2日出来ている。

このままフェードアウトすることがいいと思う。

私は残り3年弱をどう生きるかだけを考える。

未来なんていらない。3年もいらない。でも、飼育しなければならない責任は果たさなければならない。