死生観

いつ死んでもいいと思う自分は他人の相談を聞いていると、「あぁ、みんな生きたいんだな」って率直に思う。

生きるために今のそれぞれの生き方では窮屈だと感じて、他人に助言を求めているってことだなって。

偉いなって。

偉いのかどうかってことも不明ではあるが、自分は別に今の生き方が嫌だってことではないのではないかと思う。

1年間リモートワークでそれなりにやってた仕事を突然切られたとしてもそれは自分が仕向けたことだと思うし、そう、別にそこでいいと思えばやり方はあったのだけど、それを自分はしたくなかったわけで。

そして、すぐに次が決まったけど、そこは本当に自分が否定されて久々にブラックだと感じてさすがに仕事だし、契約社員だからね、いろんなところに迷惑をかけるのはどうだ?と思ってSOSを出したものの、そのSOSは理解されなかったわけで。

で、そこは1ヶ月で区切りをつけて、1ヶ月無職。

1ヶ月無職で済んじゃうスキルもあるし、しかもしっかりと年収アップもできちゃったんだけど。

それでも、今を続けることが幸せなのか?って考えちゃうわけで。

ここももしかしたら、大人しくしていたら、もしかしたらずっと居られるかもしれない。

そういう現場。

システムが大きいからそれなりに慣れて覚えてもらいたいと思っていると思う。

1ヶ月が終わったけど、ここはそれなりに居やすい。仕事をしやすいと思う。

プロジェクトリーダーとチームリーダーがしっかりと全体を見ている。

アジャイルだけに設計書的なものはないからコードを1つ1つデバッグしながらじゃないと何がどこに格納されてて最後に何が残っているのか時間がかかるけど、それでもそれなりに終わりに出来るし。

なんて感じだし、再来月からはリゾートリモートワークをしようとかって思っているけど、それだって、多分「今」を充実したいだけ。

そう、生きるって「未来を考えること」だと思ってしまう。

多くの人は「今」しか考えてないのかもしれないけど、「未来」を考えて「今」を生きなきゃ困るでしょ?って思ってる。

45まではそんなことは考えなかった。

60を考えられたと思う。

でも、今は60は考えたくない。

45で「あ、夫に自分の60は託しちゃいけない」ってことに気づいた。

そこから私は仕事を再開し、スキルアップをしながら年収アップも出来てきた。

これ以上の年収アップはもう無理だろうな。私のスキルだと。

それでも女一人生きるなら十分だ。

そう、多分夫婦生活への終止符と人生が一緒になっているのかって感じだけど、ただ別れればいいってことだけかもしれないけどね。

でもさ、人は一人じゃ生きていけないとかって言うじゃない?

もうさ、夫婦生活はないに等しいし、自宅に私が帰ってくるのはペットのため。

ペットの寿命と自分の寿命を一緒にしたいってことかもしれない。

ペットに自分は生かされているように思う。

けど、そのペットもそろそろ寿命だ。

私は彼らを放おってはいけないから、「今」を生きる。