死生観

「死」を意識したのは、ここ数年だ。

3年前に小学校時代からの同級生がクモ膜下出血で倒れたと連絡があったことが私の中の思いを押し上げた感じもあった。

私は漠然と45で終わると思っていた。

が、40過ぎてすぐに入院はしたものの生死に関わることではないものだった。

それ以後は食生活に気をつけた生活になり、健康体を維持するように心がけた。

それは「生きたい」からなのか?

そこが不思議だよね。

別に「生きたい」とは思わない。コロナ禍でコロナに感染したいとは思わない。

感染したとして私は無症状かもしれないが、誰かに感染させてしまうのは嫌だから。

もし、重症になったとしても逼迫している医療の足を引っ張るのはまた違うなと。

だから「生きたくない」はあるが、だからと言って今すぐに何か出来るとは思わない。

私の中の何かは「あぁ死ねる年齢になった」ってことかな。

そう、45は母親が亡くなった年齢だ。母は45でまだ小学生にもなっていない私を残して私の目の前で崩れ落ちそのまま還らなかった。

私の中にある幼い日の記憶。

だから私は自分もそのくらいには終わるものだと思っていたのだが、そうではなかった。

そして次は父の年齢になる。

父はそのあとを追うように1ヶ月後に自宅で亡くなっていた。

母亡き後、生きる気力をまるで失くし、今思えばネグレクト状態だったわけだな。

そして知らない間に亡くなっていたわけで。

だから、父母が経験しなかったことを私は経験したいと思わないんだよね。

父母は私を生んだかもしれないが、育てることはしなかったわけで、だから私は子供を持つことは出来なかった。

想像が出来なかったから。自分が親になる。

その選択は間違ってないと思っている。

自分が思っているのだからそれでいいのだ。

いつまでも自分が生きていられると思って生活をするよりも充実した日々になるんじゃないかと思っている。

だから日々を自堕落で生きているよりもずっと良いはずだ。