「死生観」を話せる相手はいますか?
私は、小学生時代からなぜか担任でもない先生と文通をしていた。
そして32年ぶりに定年退職をした先生にお会いすることになった。
「先生はなぜ私と文通してくれていたのですか?」
ずっと聞いてみたかったことだった。
先生は新卒採用でちょっと壁を作っているけど、運動神経がちょっとだけ良さそうだった私に興味を持ったのだろう。
そして私も今思えば「初恋」の人ってことなのだろう。
そんな感じで、大人になっても年賀状だったりを送り合ったりしていた。
そんな先生もあっという間に定年退職された。
変わっているのか?と思って会った先生は変わってなかった。
まぁ還暦は越えているけど、見た目年齢や体つきは40代でも十分通用するレベルだった。
私は定年退職した先生にお手紙を書き、そして字を書くのはさすがにしんどいのでとメールアドレスを交換した。
が、身体つきが若いからと言って出来ることまで若いわけではなく、ガラケーで返信をくれた。
そんなこんなで会うことになり、ドライブをすることになった。
「え?初恋の人と?」と勝手に盛り上がった自分もいたが、すぐに冷めた。
そして私の中になんか「教師」という職業の人に対するなんかモヤモヤするものがあったのかもしれないが、「知らない」私を話していた。
そして私の知らない先生を知ることが出来た。
お互いに知ったことでこれ以上は何もない関係になった。
価値観がまるで違う。年齢は10歳くらいしか違わない。社会人で10歳違いなんて一緒に仕事をしている関係で言えば全然無問題だけど、教師という職業の人とではまるで合わない。
でも、私にとって「先生」だったから「死生観」について話してしまった。
まぁ拒絶されたよね。反応としたら。
そんなものか。
なぜそんなに長生きしたがる?って思ってしまう。
だからと言って「自殺」したいわけではない。
でも、自分の終わりは自分で決めたいし、病院で管に繋がれるのも在宅で誰かを犠牲にするのも無理。
嫌って感情よりも「無理」って感覚。
「いのちの停車場」の舞台挨拶で西田敏行さんとかがやっぱり映画の内容と絡めた形で「終わり方」について語っていた。
私は身体は借り物だと思っているから、実は病気の影もない。
お酒も飲まないし、たばこも吸わない。過食もしない。
年齢よりは若くいられるように心がけている。
が、老いは日に日にやってくるのを感じる。
頭の中の老いは止められない。
記憶力の欠如は当たり前のことなのか?
気分の落ち込みは更年期になったら当たり前のことなのか?
終わりたいという気持ちは気分の落ち込みで起こっているのか?
いや、私は区切りをつけたいだけ。今すぐにということではない。
あと3年で終わりにするつもりで1日1日を生きると思っているだけなんだけど、じゃあその3年後にどう終わりに出来るのかがわからない。
日本はなぜ積極的安楽死とか積極的臓器提供とかないんだろうか?
生きたいと思う人に有効に使ったらいいと思うのだけど。
私は精一杯楽しんで生きてきた。だからさ、他の人にわけてもいいと思うんだよね。